東京都道503号(相模原立川線)


 相模原から多摩ニュータウン内を通って立川に向かう幹線道路だが、八王子市堀之内〜日野市程久保は狭路で、一部は車が通行できない区間である。この唐突に現れる未整備区間の真実を紐解く。

現在地はここ


ここは日野市程久保。多摩テック入口交差点。
多摩動物公園方面から来た都道503号(画像青線)は、ここで地図上から消える。
実際ここからどこへ行くのかというと、左折して都道155号旧道(画像黄線)と重用する。
※矢印は終点方向を示す。(進行方向ではない)

 


最初こそ2車線路(狭目ではあるが)、多摩テック跡を過ぎると1車線に。そして切通しとなる。

 


切通しは緩い峠のピークであり、日野/八王子市境となっている。

 


峠を下る途中は未開発地域で、とても気持ちいい。正面に見える山の向こうに、都道155号現道が通っている。
あっちの現道も開通はけっこう遅く、1995年辺りのようだ。

 


右手が開けてきて、赤い屋根の家が見えてくると、もうすぐ分岐。遠くにはマンション群も見える。

 

 
155号旧道は直進だが、503号は右折。もちろん何の案内もない。
ミラーの傍には石碑や地蔵さんがあって、古くからある道のようだ。

 


都道155号も狭かったが、こっちはそれ以上に狭い。

 


正面には交通量の多い155号現道。そこへ真っ直ぐいかずに都道は曲がる。

 


都道155号現道と交差する。同じ都道なのに503号のほうは横断歩道どころか歩道がペコンと凹んでるだけだ。

 


隣のいい道は新しく開発された区画へのアクセス路。それに比べてこの都道はまるで民家への進入路のようになり居心地悪い。
そして舗装もなくなって、いよいよ車両通行困難に。

 

  
(左)振り返ると、都道と市道(となる予定)の整備のこの差!
(真ん中)大体同じ場所だと思うが、2003年秋ごろの写真。
(右)ここに杭が埋めてあった。境界と彫ってあり、その裏はこんな記号。何?

 ※この杭について、関東の田舎町在住者さんより頂いたコメントを載せておきます。

これは住宅・都市整備公団(現:UR、旧:日本住宅公団)のロゴです。
住都公団は千葉に鉄道を持ち(今は北総線の一部)、車両も保有していましたが、その車体にもこのロゴが貼付されていました。
Wikipediaの登録画像に、その車両の写真があります。先頭貫通扉の下方、形式の2101の下に、そのロゴが見えます。

件の境界標は、その先が公団の用地ということを示していたのではないでしょうか。

ということだそうで。都市整備関連のものでしたか。どうもありがとうございました。

 


なんか草に塗(まみ)れた敷地にベンチが3つほど置いてある。
訪問時にはロープで区切ってあり入れなかったが、これから整備されんのかな?
前も通ったが、その時は高いフェンスで見えなかったのか。

 


横から歩道が合流してくるが、都道は道なりに進む。

 


造成地の端を行く都道。でもほんまに、なぜここだけこんななんや?

 

 
(左)以前はこの辺だけ左にも木が茂ってたんだが、造成が進んでなくなってしまった。
(右)2003年秋ごろ。ほんの少しの間、両側木だった。左の写真でいう緑の柵?の辺りがそう。

  不通区間の前は自然が残る地区だったが、ここから見る景色は開発されまくってる地域になる。この道路を管理する南多摩東部建設事務所に出向いて、503号について道路台帳を見たが、昔の台帳しかなかった。新しい、つまり今の台帳ではここは描かれていない。簡単に言うと、現道なし区間ということか。下の画像(国土情報ウェブマッピングシステムを加工したもの)を見て貰おう。


↑カーソルオンでもとの画像
昭和49年の当該地域の空中写真で、黄⇒155号:青⇒503号:緑⇒20号(野猿街道)

 


↑カーソルオンで昭和49年⇒昭和54年

 大栗川の河川改修が行われ、野猿街道が一部バイパス化されている。そして区画整理も始まってきており、503号だった道が消滅している。改修された大栗川に、旧大竹橋(左)と現大竹橋(右)が出来ている。

 


↑カーソルオンで昭和49年⇒昭和59年

 野猿街道の両側、区画整理が徐々に進んでいる。まだ旧大竹橋が残っているが、平成元年の空中写真を見ると落橋している。旧野猿街道は区画整理で消滅。右下の半円は2コ下の画像の半円と同じ辺りであることを示す。

 


↑カーソルオンで平成22or23年⇒昭和49年

 ついでに最近(平成23年ごろ)と昭和49年と比べてみる。画像北側はあまり変化がないが、それ以外は面影ない。

 

 


↑カーソルオンで昭和54年⇒平成元年

  大栗川の支流、大田川の北側には503号が通っていたが、平成元年には、そこも区画整理が始まっており、消滅している部分がある。昭和54年には影も形もなかった多摩ニュータウン通り(都道158号)が完成している。
  昭和54年には、503号が南の向きを変えるところから西には大田川がまだ地上にあるが、京王と多摩ニュータウン通りが出来たことで、川は地下になった。それと、南大沢駅南側で、503号の道路形状も変わっている。

 多分こういうことだろう。区画整理が徐々に進行していく中で、元あった503号の道路の代わりの道が出来ても、それをいちいち指定しなおしていくと手続きやら何やら大変なので区画整理が完全に終わるまでは指定し直ししなかったのでは?
 でも一時は指定されていたかもしれない・・・というのは、東京都管内図という、都内全部の管内図では指定されているかのように描かれているからだ。口頭で聞いただけでは、そこまで詳しいことは分からんかったが。
 で、時は経ち、区画整理は進行、地形は激変、帝京大高も出来た。で、多摩ニュータウン通り〜帝京大高まで、元あった503号の道路はすべて消滅してしまった。新しい道は八王子市道となり、都道は未開通状態となって現在に至っている。

 帝京大高の校門前にある階段は元からあったものではない。区画整理された際に出来たもので、昔は点線のように少し手前に下りていたようだ。閲覧した道路台帳は、区画整理される前のものしかなかった。つまり、今いる場所は都道だが、この先改良されたところ(階段〜野猿街道〜南大沢)は都道ではないと聞いた。実際、南多摩東部建設事務所で見た管内図では、野猿街道まで繋がって描かれていなかった。

 


この階段は都道503号ではないということだ。
そうとも知らず、昔公開したときに、「この階段が都道なのだ」とうれしそうに紹介していた自分が恥ずかしー。
「何が階段都道じゃ!!」って感じ。

 


野猿街道から帝京大高まで真っ直ぐ伸びる道。ここも区画整理で出来た道で、都道ではなく市道なわけだ。
ちなみに今までの区間を都道だと示している地図はアトラスぐらいだったが、昭文社が最近出した、大きいサイズの
ツーリングマップル見たら、この区間がまるで開通しているかのように、都道の色で描かれている。
スーパーマップルも帝京大高の前までは都道だと描いている。何を考えているのか知らんが、早よ直せよ。

 


そんなわけで途切れた都道503号の続きは、多摩ニュータウン通り(都道158号)の南大沢駅手前から左に分岐してからとなる。

 

 野猿街道〜155号旧道までの区間がまったく都道であると示してない地図が多い(示している地図は僅か)ので、結局指定はあるのかないのかはっきりしなかったのだが、聞いてみてよかった。南大沢〜帝京大高横の階段の上の区間は都道ではないことが判明した。一度は全線供用している(車両通行不可区間はあるが)が、その後道路はなくなったので、一応未開通ということになるのか? まぁ、階段は都道だと思ってたので、道路地図鵜呑みはやっぱり良くないな。

終了

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